内田樹『もういちど村上春樹にご用心』書評

内田樹『もういちど村上春樹にご用心』書評

僕はめったに書庫の本を再読しないのですが(もちろん、それにはちゃんと理由がある)、それでも何度も手にとってしまう本が数冊あり、その中でも本書はもっとも本棚から取り出し、再読する頻度が高い本です。

もういちど村上春樹にご用心』文庫化時に改題され、大幅な加筆がなされた。

極めて精度の高い、良い評論本だと考えています。内田樹作品の中でも、過去最高に再読しています。おそらく30回以上は通しで読んでいるのではないでしょうか。そのぐらい好きです。

そもそも僕はそこまで村上春樹が好きでは無い 

僕はそもそも村上春樹作品を溺愛している訳ではありません。なので当然、全ての作品に目を通しているわけではありませんし、読んでいる作品もまちまちです。(比較的初期〜90年代の作品には目を通していますが、2000年代の作品となると、『海辺のカフカ』『騎士団長殺し』はそもそも手に取ったことすらないですし、最後まで読んでいる長編作品は『1Q84』ぐらいです。『アンダーグランド』は3回も購入していますが、過去一度も最後まで読んだことがありません)

何が優れているのか

基本をカバーしつつ、「なるほど!」と考えさせるところまで、ズカズカと踏み込んでくる。例えば、村上作品において、なぜあれほど朝食を作るシーン(調理)するシーン掃除をするシーンが多く描かれるのかといった、読んだ人であれば誰もが一度は感じる疑問に、かなり的確な回答を記している。 それに加え、例えば村上作品には欠落している決定的な要素、つまりは父親という存在についてもしっかりと戦後の日本文学史の文脈を汲み取った上で、言及している。 そして、ファンはあまり言及したがらない点、「なぜ村上春樹は売れるのか」、「なぜ、村上春樹は実世界そのものになってしまうのか」、といった点についてもしっかりと言及している。これらの仕事が一冊の文庫本の中で簡潔に行われている、流石としか言いようのない、強烈な内田節が炸裂しています。

特に優れている章

本書内に記載されている、『走ることについて語るときに僕の語ること』に関する内田氏の書評は、大変優れています。正直、村上作品そのものを超えています。また読者の側にも色々と考える余地がある、非常に良い文章です。

『走ることについて語るときに僕の語ること』は、村上春樹が自身の創作活動と趣味と実益を兼ねて行うマラソンについて言及した書籍になります。内田はまず、このような文章を現役の作家が書くことは対面稀なことであると評し、 ぐいぐいと核心に切り込んでいきます。非常に痛快です。下記がその、内田の文章になります。

これはランニング論の形を借りた文学論である。「走る」という行為とどんなふうにかかわってきたかを語ることを通じて、村上春樹は「書く」という行為とどんなふうに関わってきたかを大変ストレートに語っている。作家自身が自分の創作の秘密をこれほど率直に吐露することはきわめてまれなことである。

『走ることについて語るときに僕の語ること』(p51より引用)

身体は有限の資源である。手足はワンセットしかないし、骨の数も臓器の数も決まっている。だから、身体的パフォーマンスを上げるというのは何か強化装置のようなものを外から付加することではない(そうしたがる人も多いが、それは失敗を宿命づけられている)。私たちは、「手持ちの資源をやりくりする」ことしかできない。使えるものはなんでも使うこと。そういう使い道があるとは思わなかった思いがけないものの思いがけない用途を発見すること。これが「家政」の要諦である。

『走ることについて語るときに僕の語ること』(p52より引用)

村上春樹は「才能」とは何かについて語った箇所に、短いけれども、核心的な言葉を記している。

「人生は基本的に不公平なものである。それは間違いのないところだ。しかしたとえ不公平な場所にあっても、そこにある種の『公平さ』を希求することは可能であると思う。」(六十五項)

私たちひとりひとりへの資源配分は(身体的なものも知性的なものも)基本的には不公平である。けれども、私たちはその手持ちの資源でやりくりするしかない。「やりくり上手」であれば、ありあまる資源を蕩尽している人よりも結果的に質の高い成果を残す可能性がある。

『走ることについて語るときに僕の語ること』(p53より引用)

この一文からも分かる通り、人間は手持ちの資源でしか原則ことを成し得ることはできません。この考え方は、日々の仕事や業務にも通ずる点が多数あります。この思考法1つとっても、僕にかなり大きな良い影響を享受できたと実感しています。 本書を読むと、多面的に村上作品を読めるようになるだけではなく、内田氏が的確に刃を入れた、いわば最適に下処理された食材を、次々に渡されているような気分になります。670円+税、率直に安すぎます。1万円出して良い価値のある一冊だと思います。

本書は各章毎に噛み砕いて説明したいぐらい好き

内田氏は特に短編の中では、「中国行きのスロウ・ボート」「午後の最後の芝生」「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」が好きらしい。幸いこれらの作品は上記した、僕が最もよく読んでいる年代の村上作品なので、いずれの作品も触れたことがあり、そのことから内田氏の村上作品というフィルターを通した上での人間性が垣間見得ます。

特に僕が今の業界(広告業界)に飛び込むきっかけとなった作品、「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」は、本書の中でもしっかりと触れられており、1章使って丁寧な批評がなされています。(本書「100パーセントの女の子とウェーバー的直感について」参照)

【参照】覚え書:「今週の本棚・この3冊:村上春樹=内田樹・選」、『毎日新聞』2013年10月06日(日)付。

「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」が収められている短編集『カンガルー日和』と合わせて。(ちなみにkindle版も所有しており、世界のどこにいても再読できるようにしている)

他の章において、村上春樹の創作活動(執筆環境)に対する身の置き方まで言及されており、そちらでも、単純な評論の域を超えた言及が多数散見されます。 ここでは深く言及しませんでしたが、前述した「なぜ村上春樹は売れるのか」「なぜ村上春樹の作品は世界中で読まれるのか」「なぜ、村上春樹は実世界そのものになってしまうのか」といった疑問に関する内田氏の考察も、大変興味深い内容となっています。このあたりについては、また改めて筆を取りたいところですね。

書評本:『もういちど村上春樹にご用心』内田樹